名作も迷作もすべてワンコイン

観たい映画はたくさんあるけれど、集中力が続かない。

映画館では二時間弱、椅子に座って画面を見続けていられるのに、自宅だとそうもいかない。

30分ほどでスマホや近くの本に手を伸ばしたり、別の動画を見始めたりしてしまう。

これは昔からそうで、学校の授業で最後まで椅子に座っていることはできたが、ずっと先生の話を聞いているのは難しかったように思う。

数学のノートは途中で板書を諦めているし(恐らく違うノートに何か書いている)、理科はビーカーとかのあまり関係ない落書きを描いていた。

唯一、中学か高校の世界史だけは楽しかった記憶がある。配られたプリントの穴埋めだけだったので板書も少なく、先生の話も面白かった。

古代文明の所で実際に、当時貴重だった粒の胡椒を持ってきてくれたんじゃなかったか。

集中が続くものと続かないものには、決定的な差がある。面白いか面白くないかだ。

 

そしてもうひとつ。

大学で、「総見」というイベントがあった。

総見とは「総見物」の略で「全員で見物すること。特に、芝居、相撲などの興行物を団体でそろって見物すること。」とある。(出典 精選版 日本国語大辞典)

一年に二回あったのだが、在学中、そのどれもで最初から最後まで通して見た覚えがない。

大きな舞台で、有名な俳優が出て、という演目だった。一番後ろの安い席でも、学生の時分でチケット代など払えるわけもないので、すべて学校側が取っていた。

柔らかい椅子はとても寝心地が良かった。椅子に座って寝るのは体が疲れそうだがその時はそうでもなかった。

その後、感想文を書けと言われてすごく焦ったのを覚えている。結局、少しばかりの見た部分と、ネットで拾ったあらすじとで埋めた。

それ以外で、自分でお金を払って観に行った舞台があった。

それらはもちろん最後まで起きていた。むしろ少し身を乗り出して見ていた。寝るなんてことは考えられなかった。

自分で選んだものでもあるし、お金を払ったのだから楽しまないと、という、貧乏根性みたいな思考が、寝かせないのだろう。

 

観たい映画はたくさんあるが、今は100円でレンタルできてしまう時代だ。

100円なんてはした金だ、とまで言うつもりはないが、たとえ損しても、食事を少し我慢するだけで何ともなくなってしまう。

返却期限までに見られなかったらまた借りればいいや、と思い、結局見ずに返してしまうのだ。

しかし、そうやって少しの金でどうにかなるからと、いろんな経験をしないで終わってしまうのは少しもったいないな、と思った。