AとBどちらがいいか、と他人に聞かれた時、「あなたの好きな方を」と答える。
それは親しくない人に対してすることが多く、それだけ、相手が喜ぶことがわからないからだ。
自分に損も得も無いことに関しては、自分より、相手が喜ぶ方にしたい。
喜ぶとまではいかなくても、納得する方を選びたい。
それは別に相手が好きだとか好かれたいからというわけではなく、ただ単に面倒くさいのだ。
相手が良く思っていない方を選択してうまくいかなかった時、文句を言われる。
「でも自分に決定権を与えましたよね?」と返すこともできる、できるが、また文句や嫌味を重ねられるだけで何の解決もしないことはわかりきっている。
これが非常に面倒くさい。他人とはかくも面倒くさい生き物なのか。
そう思う自分こそ面倒くささの塊だということは自覚しているが、だからこそ、波風を立てないで生きようと必死こいているのだ。
真人間になりたいと思う。自分の理想とする真人間っぽく振舞ってみる。
どっと疲れがでる。真人間とは疲れるものなのか。それとも自分に真人間のふりはそもそも無理なのか。
いや、そんなはずはない。おかしい所があるわけではないのだから真人間になれるはずだ。
興味のない話も聞いて、それっぽく笑って、それっぽく言葉を返して、「あなたと敵対したくはないですよ」というポーズをとる。
今のところうまくいっているような気もするが、もしかしたら、そういう内心が、どこかバレているのかもしれない。
明日は少し、笑い方を変えてみよう。