疲れた

疲れた。変な笑いを返すことにもそれを自覚したうえでそうする以外できないことにも疲れた。

なかなかに非常識な人というのはどこにでもいる。この場合の「常識」というのはその世界での暗黙のルールだったり「まあ普通こうするよね」みたいなもんだったりする。

そういうのがわからない人は結構いて、わかる人からしたら眉をひそめたくなるんだろう。

 

今日もそういうことがあった。若い子がやらかしたのを「アレは無いわ…」みたいな感じで先輩が話していた。

その場にいた自分にも同意を求められたけれど、曖昧な返事と変な笑いしか出なかった。

頭の中ではめちゃくちゃ焦っていた。否定や擁護はできない。さすがに自分でも、若い子の行動はちょっとマズいだろうということはわかっていたからだ。

ただ、「ですよねえダメですよねえ」と同意することもはばかられた。

なぜなら自分にも多分に、そういう部分があるから。

 

言葉が通じない、と思われていると思う。

さすがに日本人同士だし日本語を使って生きてきたけれど、それでも相手が何を言っているのか、何を伝えたいのか分からない時がある。

頭がおかしい、とも思われていそうだ。

なんでそんなことをするのか理解できない、どうしてその思考回路になるのかわからない、みたいな感じ。

自分の中では道理が通っているつもりだけれど、他の人からしたらそうでもないらしい。

「考えればわかるだろう」と言われると、結構つらい。

考えないと思ったか、いや実際考えなかったんだけれど。考えてもその結論にたどり着かなかったという可能性は考えないのか。

ダメなことはダメと言われないとわからない。ダメだろう、と予想してみても大概外れるから当てにならない。

 

予想がほとんどできない、ので、色んな経験をして、あらゆるパターンを自分の中に蓄えることしか今のところできていない。

パターンで覚えるので、少しでも違うと戸惑ってしまう。

揃える備品の数が違って焦った時には自分でも笑ってしまった。乾いていたけど。

 

人生周回遅れを自称しているけれど、多分こういうのが理由なんだと思う。

他の人が一を聞いて二や三を予想するのに対して、自分はちゃんと二や三を聞かないとその存在すら認識できないのだ。

改めて文字にすると面倒くさいな。直し方もわからないからこのまま生きるしかない。

幸い周りの人間は思ったより寛容な人が多いので(無関心とも言うかもしれない)、支障がなければやり方を変えるつもりはない。

不器用な生き方だけれど、これはこれで、まあ、良くは……ないか。