職場の中に、各々が食事をとれるスペースがある。
自分の食事中に他の人が来て「いただきます」と言った時、自分はほとんど無意識に「はい」と小さく返事をしていた。頭を下げる場合もある。
他にも同じようにしている人がいた。しかし、何も言わない人もいる。
「いただきます」に何かしら反応を返すこと、これは一般的なものなのだろうか。
検索をしてみると、「はい、どうぞ」「召し上がれ」など、食事を作った人間からだと思われる返事は割と広く存在しているようだった。
自分は誰のものも作っていない。なのに返事をしている。これは一体どういうことなのだろうか。
学校給食では全員が揃って「いただきます」と言うので、先に食べている人や食べ終わって側にいる人は存在しない。
全員で「いただきます」「はいどうぞ」まで言う学校もあるらしいが、少なくとも自分はそんなことをしていた記憶はない。
となると、家庭で身についたものということになる。確かに家では誰かの「いただきます」に対して返事をしていた。
誰が料理を作ったかは関係なく、誰に対してもだ。
自分で作って自分で食べても、ソファでテレビを見ている人間が「はーい」と言うのだ。
返事をしない場合を考えてみる。
自分が食事をしている。誰かがスペースにやってくる。「いただきます」と言う。
自分はそれに何も返さない。……それは、なんだか居心地が悪い。何か言うべきでは、と思ってしまうのだろうか。
自分がスペースに行くと、誰かが食事をしている。自分も席につき「いただきます」と言う。
相手からは何も返ってこない。……これはまあ、別にいい。
いや、やっぱり少し寂しい。ほんの少しだけ。ちょっぴり。
親元から離れて8年になるが、染みついたものはなかなか離れないようだ。
真意は親に聞かないとわからないが、恐らく、このやり取りにあまり深い意味はないと思う。
親も同じような環境で育ち(親の場合は作った人間からの返事だったのかもしれないが)、誰かの「いただきます」には返事をする、という決まりのようなものが無意識の中に残っているだけなのかもしれない。
それはきっと、「おはよう」には「おはよう」と返し、「ただいま」には「おかえり」と返すような、言葉の本来の意味までは考えずにやり取りされる、挨拶のようなものなのだろう。
挨拶ができる人間は、大体の場合、相手からもとりあえず一人の人間として認識してもらえるのだ。
そこからどう発展させるかまでは、さすがに社会の荒波にもまれながら掴んでいくしかないが、コミュニケーションの取っ掛かりを何の躊躇いも疑問も持たないくらいにまで染みこませてもらえたことは、親に感謝してもしきれない。
さすがに、「いただきます」「はい」から会話が始まったことは少ないが。
大体は、先輩からの「今日のご飯何?」でスタートするのだ。挨拶なんて無かったんだ。