本を読むことが好きだ。
とはいえ最近は年に何冊読むかなんて簡単に数えられるくらいだし、本より携帯を見ている時間の時の方が長いくらいだ。
気力が無い等理由は様々あるが、それでも好きな作家の本を買ったり、面白そうな本を見つけたらメモしておいたり……とにかく子供の頃から、本を読むのが好きだった。
小学生の時は、図書館で借りた本を読みながら帰っていた。今思うととても危ないことをしていたと思う。
中学で通学路が短くなり車道と歩道の境目が無くなったのと、部活を始めたのとで帰宅中に読むのは止めた。
図書館には通っていたと思う。実はあまりよく覚えていない。
高校で自転車通学になると、帰りがけに書店に寄ることが多くなった。
読むのは基本的に小説が多い。教養本もたまに読む。啓発本はなんとなく怖くて避けている。
映画やドラマより小説を選んだのは、自分にとって簡単に現実逃避できるものだからだろう。
映像は時に「見ている自分」を強く認識してしまうのでちょっと苦手だ。現実逃避しているのに現実をまざまざと実感するなんて嫌だし。
小説は、進むスピードも数ページ飛ぶことも逆に戻ることも比較的楽だから、その分自由だ、と思う。
情報が少ないのも良い。文字には音も映像も無い。それらをどう想像するかなんて読み手の勝手だ。
起き上がれないほど疲れていた時があった。実際に疲れていたのかどうか定かではないが、疲れている、と思っていた。
ひたすら寝て、目が覚めては寝て、少し元気が出たらご飯を食べてまた寝て、を繰り返していた。
回復してきた頃、食事以外で一番始めに自発的にできたのは、本を読むことだった。
古本屋でなんとなく目についた一冊だった。作家の名前も本のタイトルも知らなかった。
睡眠の隙間に読もうと思っていたが、一気に読んでしまった。
内容はあまり明るくはなかったが、そこから元気が出た。当たり前の話だが、暗いものが存在しても良いのだと思えた。
結末をどう思うかを読者に委ねられているのも、気を楽にさせた。自分はそれをハッピーエンドだと思った。
今でもたまに、元気がなくなると読み返す。さすがに全部は読めないが、それでも気持ちが軽くなる。
人生を変えた一冊、などと大げさに言うつもりはないが、好きな本を十冊挙げろと言われれば一番に来るだろう。
他の人は、誰かとの会話によって自分の価値観を感じたりするのだろうか、と思う。
自分の場合は、それが本だった。
こういう世界もあるのか、こういう考えもあるのか、これは自分とは違う、そうか自分とはこういうものか、と。
実際に読んだ内容通りの人間がいるかどうかは別だが、そういうことを想像する人間がいることは、書いた作家がいることから確かだ。
現実逃避をしているのに、自分を感じて面白がっているのも不思議な話だ。
ただこれは、自分を見ているのではなく、本を通して自分を見つめているという……よくわかんないな。
ただ、これからも本を読み続けるし、本を通して自分を見るのだろう。