呪いは存在すると思う。
丑三つ時に藁人形へ五寸釘を打つようなものではなく、ごく身近に。
自分にかけられていた呪いは、「お前はここ以外じゃやっていけないよ」というものである。
回数は覚えていないが、言われたのは一度や二度ではなかったはずだ。
こういう呪いのたちが悪いところは、それが時に冗談のようであり、また相手のことを思いやっている風でもあり、何にせよ相手を責めているわけではないように見えるところだ。
ここ以外じゃやっていけない、けれども、ここなら受け入れてもらえるんだよ、と。
自分は自信が砂粒程度で、気を抜くとすぐ卑下の言葉をまき散らすので、優しい言葉に絆されて、なるほどそうかそう言うならば、とそこに腰を落ち着ける気持ちでいた。
ただ、その頃は、今と比べてつまらない人生だったと思う。
自分に自信が無いまま、他人の言葉だけに縋って生きていたのだから、そりゃあつまらないだろう。
そういう生き方が合う人ももちろんいると思う。他人の評価の上で生きるために頑張れる人もいるんだろう。
他人の評価なんて気にせず自分で指針を見つけて努力できる人だっている。
ただ自分は、その数年を振り返ってみても、何をやれて何ができず何に苦しんでいたのか、あまり実感として思い出せない。
そもそも、何を追いかけているかすら、ちゃんとわかっていなかったのだ。
生活の全部を仕事に繋げるように考えていた、というか、生活には仕事しかなかった。
何をしても仕事がちらついて、いつからか、仕事から逃げることばかり考えるようになっていった。
自分がそこにいたのは、ただそこにいていいと言われたからで、そこにいたいと本当に思っていたのかさえ、もうわからない。
今、環境が変わって、大きく傷つくことも、とても心躍る時もある。
それは心の体力みたいなものをすごく使うので、毎日体より心が疲れている感じがする。
でも、何が自分に足りなくて、何ができて、何をそのままで何に気を付けるか、みたいなものは、前よりはっきりしている気がする。
日々目に見えて進歩しているかはまた別の話だけれど。
そして、最近気づいたこととして、眠ることが怖くなくなった。
よくわからないものをよくわからないまま追いかける日々では、明日が来ることが少し怖かった。
趣味だった読書ができるようになった。
仕事に直接つながらないことでも、焦燥感もなく楽しめるようになった。
明日も頑張ろう、と思うようになった。
今の仕事は、一度出会った人と二度目の再会をする機会はあまりない。
だからこそ、その日を大切にしようと、少しだけ、そう思えるようになった。
気後れなく、人に笑顔を向けられるようになった。
業務中に初対面の人間へ仏頂面をするのも失礼な話だが、自分が向けた笑顔に笑顔が返ってくると、自分は笑える、相手に向けて笑顔を向けられる、向けてもいいのだ、と思えるようになった。
これらは全部、かつてかけられていた呪いだった。
呪いを呪いだと認識する時は、大体呪いが解ける時だったりする。
「ここ以外じゃやっていけない」という言葉が自分を縛っていたと知ったのは、別の場所で正式に雇用された時だった。
それからもうだいぶ月日が流れた。「なんやかんややっていけちゃってるんだよなあ」と笑ってしまう。
そんなもんだ。呪いなんて大げさだ。ぴっぴろぴー。
でも相変わらず自分に自信はないので、誰か助けてほしい。