念仏唱えて待つ

今日も何も無かったなー。

朝、めちゃくちゃ眠くてコーヒーを飲んだら、お腹を下してしまった。

空腹でもないのにずっとぐるぐる鳴り続けてうるさかったな。

 

上司も先輩の一人も同僚も休みで、まあ仕事はそんなに無かったからいいんだけど、明日のことの相談がしづらかったのはちょっと不便だったな。

でも、話すのに緊張する先輩が少しだけ話しやすくて、何度か交わした会話も、思い返せば割といい成績だったんじゃないだろうか。

同僚と話す時は緊張しないのに、その先輩と話す時は、あと重役あたりともだけど、すごく緊張する。

頭で考えていることが、口で発している言葉を追い越してしまう。

何かを伝えようとした時に「これも言わなきゃ」「これも付け加えなきゃ」と思って、結果とっ散らかってしまうことがある。

普段の会話で無意識に行えている、一瞬以下の時間の中での言葉の取捨選択が、どうにも難しい。

全部言わなきゃ、誤解も不足も無いように、余すところなく伝えなきゃ。

そんな気持ちばかり先走ってしまうから、口は一つしかないのに言いたいことが溢れてしまう。

他の先輩や同僚とは話せるんだから(主観だけど)、落ち着けばもっと簡潔に喋れそうなもんだけどなあ。

 

小さい頃「口から生まれてきた」なんて言われたこともあった。

とにかく色々喋りたい。自分の持つ言葉を、覚えた感覚を伝えたい、共有したい。

そんな感じだったから嫌われることもあったし、大人になる中で黙っていた方が得だと気付いて今は無口寄りになった。

 

 

上司に「暇なら念仏唱えたらどうですか」と言ったら思いの外驚かれた。

別に家が熱心な仏教徒というわけじゃない。クリスマスも初詣もやる。

家の中に仏壇があって、ごくたまに親が唱えているのを聞いたことはある。あと法事もあったな。

それでも、それだけなら唱えられるほど覚えはしなかっただろう。

大学が仏教系で、触れる機会が多かったから、いつのまにがぼんやりと覚えてしまった。

卒業して何年も経つ今じゃ忘れている部分の方が多いけれど、同じところを唱えたりもしていればいい暇つぶしにはなる。

頭の中が言葉でいっぱいになった時も、念仏を唱えれば、よくわからない文字で塗りつぶされて割とクリーンになる。

こういう使い方は良いんだろうか、とは思うけれど、別に貶める意味でも犯罪でもないんだから、このくらい許されるだろ、と気楽に考えている。

文字が流れるタイプのもの、落語とか一人芝居のセリフとかでも同じような効果があるのかもしれない。

でも変に意味が分かりすぎると、今度はそっちに集中してしまいそうな気がするんだよな。

適度に理解できてなくて、長くて、心地いいのがいい。

大勢が声を落として抑揚なく読む念仏は怖かった思い出がある。

けれど、一人ならスピードも雰囲気も自由だ。

マスクを着けて仕事をしている今、口を動かすだけなら周りにも気づかれにくいし、いいリフレッシュ法かもしれないな。

 

明日も朝から仕事。ちょっとだけ忙しそうな雰囲気。起きられるかな……