郷愁を起こす火

今日は疲れたなあ。

雨降ってるからかずっと眠たかった。

特に書くことも無いので、今日ちょっと思ったことを掘り下げて書いてみる。

 

小さい頃から、火が好きだった。

昔住んでいた家には小さい焼却炉があって、そこで燃えている火を見るのが好きだった。

子どもだったから、火を直接扱わせてはもらえなかったけど。

近づきすぎて、前髪を焦がしたこともあった気がする。

枯れ草や竹を組んで燃やして無病息災を祈る祭りにも、毎年参加していた。

夏祭りで見る花火も好きだったし、夏休みに祖父母の家でやる花火も好きだった。

 

火が好きだとはっきり自覚したのは、大人になってから。

前の職場の仕事の関係で山奥に行った時、出たゴミを捨てずに、山に穴を掘ってそこで燃やして埋めた。今思えば違法だったんだよなあ、あれ。

自分で火をつけて、燃える火を眺めて、燃え尽きたら土をかぶせて。

段ボールや紙を使って、大きく燃え上がらせられた時はすごくうれしかった。

夏場だったこともあり汗だくになったけれど、楽しかったなあ。

そこで気付いた。自分は火を見るのが好きだと。

火薬の匂いも好きだと思う。花火とかマッチとか。無意味にマッチを擦ったりもしてたっけ。

引っ越してからも、近くの公園で行われる花火大会は気になっていた。

来場者が多いらしいと聞いて、なかなか近くに行く勇気は出なかったし、仕事が夜遅くまでだったので、いつも帰り道、遠くから眺めるだけだったけれど。

 

Youtubeなんかで焚火をしている映像も好きだ。

火の揺らぎは精神に安らぎを与えるらしい。

リラックス効果は確かに感じる。見ていると呼吸が深くなる気がする。

でも多分、火、それ自体が好きなのもあるけれど、それに加えて、最初に大きな火を見た昔の家のことを少し思い出して、懐かしくなるのもあるんだと思う。

田舎の家。庭で家族みんなで焼き肉をしたりもしたっけ。

夏になると兄弟で電車に乗って祖父母の家に行って花火をして。

どんど焼きもその頃だ。寒い中でごうごうと燃える火。

安らぎの中に、懐かしさがある。自分にとって火は単なる酸化現象じゃない。

 

今は火が無くても熱が通せたりするし、これからもっと日常には不必要な流れになっていくんだろうけれど。

それでも、思い立った時には火を起こせるような、そんな生活が続けばいいなあと思う。

今はマッチぐらいの火しか見られないけど、いつか河原とか広場とかで、大きな火を燃やしたいなあ。